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​創業70年の歴史

スンガリーは、1957年(昭和32年)に創業の

ロシア・ウクライナ・ジョージア料理店です。

店名のスンガリーは、当時の満州国ハルビンに住む多くのロシア人達が、

街を流れる大河のことを(中国名では松花江)、

スンガリーと呼んでいたことに由来します。
元々は、その源流にあたるモンゴルや満州語で

「天の川」を意味する言葉でもあります。
この地に移り住んだ日本人達にもその呼び名は引き継がれ、

親しみを込めて「スンガリー」と呼びました。

ハルビンに暮らす人々にとって、スンガリーは愛すべき憩いの場所でした。
春や秋には河畔や中洲へ小舟で渡り、

ピクニックやバーベキュー、ワインを楽しむ人々の姿。
夏にはヨットが水面を彩り、若者たちが泳ぎ、

ビーチハウスではパーティーに興じる華やかな季節。
そして冬には一面が凍結し、スケートを楽しむ人々でにぎわう――。

四季とともに人々の暮らしを包み込み、文化が自然に交わる象徴的な存在。
スンガリーという名には、そんな豊かな記憶と情景が込められています。

スンガリーの歩み

― 国境を越えて、

料理がつないだ70年 ​​

 

創業者・加藤幸四郎と淑子は京都の出身で、

20世紀前半に国際都市として発展していたハルビンに移住。

幸四郎は当時の満州国の大学「ハルピン学院」に留学し、

ロシア語、そしてロシア外交・経済、貿易等を学びました。

そしてそのまま現地で就職し、二人の結婚生活は始まりました。二人は京都と違う生活を謳歌し、青春時代を過ごしました。

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満州時代のハルビンはロシア人を中心に、

ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人など、

最盛期には数十カ国の外国人が暮らす大都市となっていました。

ヨーロッパや中央アジアの文化、中国の文化、

そして日本の文化も息づく特別な街でした。

都市設計や街並みは「東洋のパリ」とも呼ばれていました。

ロシア風の建築やアールヌーヴォー様式の建築が立ち並び、

石畳の通りに並ぶカフェの店頭のガラスケースには、

たくさんの種類のスイーツが並んでいました。

夏にはレモンスライスの入ったアイスティー、

冬は熱々のチャイがジャムや蜂蜜と一緒に運ばれてきます。

街の人気レストランにはワインや料理を楽しむ声が溢れ、

パン屋からは焼きたて香りが漂ってきます。

街の人たちに大人気のオペラやクラシック音楽が流れる劇場。

当時先端の音楽を楽しめる社交ダンスホール。

多くの人たちが流行のヨーロッパの服を着て楽しんでいました。

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そして、

多文化が自然に交差するその街での二人の国際的な体験が、

後のレストラン・スンガリーの原点となります。

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当時の松浦洋行ビル_edited.jpg
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戦後の東京で始まった

ロシア・ウクライナ料理店

終戦後、夫妻は日本へ帰国。
失われた青春の記憶と郷愁を胸に、「あの味と文化をもう一度届けたい」とロシア・ウクライナ料理店を開きました。

それがスンガリーの始まりです。

初代料理長は、ハルビン近郊で日本人と結婚していたウクライナ・コサック出身の女性クセーニャ。

その後も、上海やハルビンのロシア料理店で経験を積んだ料理人たちが厨房を支え、スンガリーの味は、日本人にも、日本に住むロシア人やウクライナ人にも、とても親しまれるようになり、本場のスタイルを築いていきました。

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高度成長期の東京、新宿へ

1957年、新橋に開店。その後、京橋へ。

1960年、新宿へ移転。

当時の新宿は舞台文化が花開く街でした。終演後には多くの芸能人や文化人が集い、音楽と料理が自然に交差する空間が生まれました。

スンガリーは、単なる飲食店ではなく、文化人たちが語らう社交の場となっていったのです。

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京都キエフとウクライナとの交流

1972年、京都に姉妹店「キエフ」を開店。

当時、京都市が姉妹都市として交流していたウクライナの首都キーウ(当時の表記:キエフ)にちなみ、その名が付けられました。

開店にあたり、加藤幸四郎は自ら現地を訪れ、市長と面会。料理人の派遣を依頼しました。

約半年間にわたり現地料理人から直接指導を受け、実際の文化交流を通じてウクライナ料理をより深く学ぶことができました。

ボルシチをはじめとする多くのロシア料理の源流と言われるウクライナ料理について、当店はこうした交流の中からも学び、そこで学んだレシピーは現在に至るまで大切に受け継がれています。

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ジョージアワイン・料理 との出会い 

先駆的な取り組みへ

1990年、スンガリーはジョージア料理店「スリコ」よりシェフおよび調理人4〜5名を招聘し、当時まだ日本ではほとんど知られていなかったジョージア料理を本格的に導入しました。

クルミやハーブを巧みに使う伝統料理、素朴でありながら奥深い味わいは、スンガリーの料理文化に新たな広がりをもたらしました。

やがて世界的に注目を集めることになるジョージアワイン。
とりわけ、8000年の歴史を持つクヴェヴリ製法から生まれる「オレンジワイン」は、ジョージア発祥のワインとして世界に広まり、今では欧州各地や日本でも生産される存在となっています。

スンガリーは早くからジョージアワインと料理の調和を提案し、現在ではロシア・ウクライナ・ジョージアの料理を本格的なオレンジワインとともに楽しめる、国内でも希少なレストランとして多くのお客様に親しまれています。

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そして現在へ

 

現在、スンガリーは三店舗を展開しています。

・新宿東口本店(1973年開店/歌舞伎町店より移転)
・新宿三丁目店(2017年開店/旧新宿西口スバルビル店より移転)
・京都キエフ(1972年開店)

三代目として受け継ぐのは、創業者の孫である加藤暁子です。

70年にわたり培ってきた味と思想を守りながら、スンガリーはこれからも、食と文化に人が集う場として歩み続けてまいります。

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スンガリー年表

新橋店 1957-1958

京橋店 1958-1960

歌舞伎町店 1960-1973

新宿西口スバルビル店 1967-2017

テアトロ・スンガリー青山 1991-2006

 

現在営業中の店は3店舗

 • 新宿東口本店(1973 年開店)/ 歌舞伎町店から移転

 • 新宿三丁目店(2017 年開店/ 旧新宿西口スバルビル店移転

 • 京都キエフ(1972 年開店) 

新宿東口本店

​

新宿区歌舞伎町2-45-6

千代田ビル B1

 

​お問い合わせ

050-5872-6300

​​​​​

新宿三丁目店

​

東京都新宿区新宿3-21-6

新宿龍生堂ビル B1F

​

​お問い合わせ

050-5890-7212

​

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